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わたしの制作の背景にあるもの vol.1

無事、クラウドファンディングを達成し、おはいり展も終了して、
気が抜けたのかすこし体調を崩してしましました。

ここまで、金沢、香川、軽井沢と展示をさせていただいたことを通して、
私の中でこれまでよりはっきりと制作の背景にあるものがみえてきたので、
この場所(ブログ)で考えを少しづつまとめていきたいなと、思います。

わたしが制作をするときは、ほとんどなにも考えていません。

寧ろなにも思わないようにしたい。
無意識と意識のちょうどまんなかくらいに浮かんでいるような、
そんな心地。
地面と宇宙の間に在る(のか、ないのか、、、)雲のような感じ、
と想像して頂ければ。
すこしわかりやすいかもしれない。

土に触れ、手を通して出てくるカタチ。

それはいつでもわたしの感覚、感情、もっとざっくりというと、気分に由来しています。

それはものすごく不安定で、秩序などないように思えるけれど、

わたしにはそこになにかあるのだと思える。

神秘だとか、真実だとか。言葉にしてしまうとなんだか薄っぺらくて胡散臭いけれど。

わたしたちが知ろうとして届かないと思っていることは、
実は私たちの中でちゃぷちゃぷと呑気に波をたてているのではないかと。

まだなにも、分かれていない、意味も記号もあてがわれずに在るものに、

わたしは真理といえるものの影を感じるのです。

それを掴もうとするには。

そのもの自体になりきるしかないと私は思うのです。
なろうとする、というよりは、憑依されるように。

だからわたしは、その場の感覚に任せます。
感じていることはまるごと、土に託し、手が勝手に導きだします。

つくっているときは、その状態です。

考えていない。
なにかしようとも、あまりしていない。

制作の場にいくときも、

行こうと思ってそこにいくわけではなく、
なんとなく気になって其処に呼ばれてしまう、
引き寄せられていつのまにかその場で手が動き始めている感じです。

それを、窯に入れるそのときまで続けています。

それがわたしにとって大切なこと。

なぜなら無意識からしかわたしたちの見たい真実は獲り出せないから。

言語化できていない領域にあるモノが、わたしたちをぐいぐいとセカイの真理に近づけてくれる。

まずはわたしの制作のことから。

わたしは言葉が苦手。
なので私自身、少しづつ言葉にしながら、ああそうかと気づいていくのだろうと思います。

今はひとまずここまで。

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