Chisato Yasui
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かそう

2020-04-27 こども



4月27日。これは、はんなが集めた桜の花。樹からぽろぽろ零れ落ちた子たち。


わたしたちの住む近くにある神社の境内に在る桜は、3月末から5月まで、種々様々な桜を咲かせる。

4月も終わりとなると新緑が目立っては来るものの、その隙間を縫うように八重の可憐な桜はぽつりぽつり顔をのぞかせている。

我が家の末っ子は桜の花が大好きで、今年からなぜか桜のことを「はる」と呼ぶようになった。
だから、桜の花が樹から落ちている様をみて、「春がいっぱい零れてる!」と言う。

今日は何を思ったのか、桜を苔の上にいくつも集め始めて、「まだきれいだねえ」「落ちても可愛いよねえ」と誰に話しているのか曖昧な声かけを繰り返していた。

桜の額が星のかたちをしているのをみつけて、
「わあ!春は星がたくさん!お星さまたくさん集めちゃおう!」と無邪気に喜んでいた。

(お花も星も、小さな女の子には共通して心惹かれるかたちなのだろうか。ふと、気になる。)

実は、わたしたちは3月26日、おばあちゃんを亡くした。
まだ1か月しか経っていない。
末っ子はそのときのこと、どうもよく覚えているようで、

「おばあちゃんにたくさんお花あげたよねえ」
「おばあちゃんのお葬式、棺に沢山お花を詰めたよねえ。」
「おばあちゃん、お花たくさん食べれたかなあ。」
「おばあちゃん、お星さまになるんでしょう。ちゃんとお星さまになれたかなあ。」

と、桜の花をぐるりまあるく大きく並べ終えたころに呟いた。

「これは、花束で、星になったおばあちゃんへのご馳走のケーキなの!」

なぜ食べ物とおもったのか、深いところはわからないけれど、
葬儀の時、葬儀場に花が溢れているのをみた末っ子は、その花が「おばあちゃんのごはん」だと思ったのだそうだ。

これができるまで、たぶん小一時間、「よいかたちの星をもった春(桜)」を末っ子は探して歩いた。
広い広い境内の庭のなかを黙々と。 

 

わたしは、いまだおばあちゃんがいなくなったことに「ぽかん」としている。

末っ子も、よくわかっていないはずだけれど、もしかしたらわたしよりも素直に感じているのかもしれないと、今日の様子を見ながら思った。
彼女なりのお別れ。おばあちゃんがいた/亡くなった、その存在をどんなふうに自分の中に納めるか、そ彼女なりの仕方。

こうして感じるようにかたちにできる純粋さ、素直さをひたすらうらやましく思い、
同時に末っ子の存在をありがたく思った。幼い末っ子はまだまだ「自然」で、自然のように在る。


上辺綺麗な言葉で語られるよりも、あるいは意味ありげに小難しく死生観を語られるよりも、
ずっと腑に落ちるものがあった。




「これ、どうしようねえ」

とわたしがたずねると、

「このままにしておいて、動かさないで、たぶんいつかなくなっちゃうから。」
と、末っ子。

そういうことなんだよねえ。まさに。

末っ子のその言葉以上に語り得ることは、いまのところ特に何もなさそうで。毎日通う度この「おばあちゃんへのご馳走」がすこしずつ食べられていく様を見届けたいと素直に思う。

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