ものがたりを。
してん 境目 眼なぜわたしが作品をつくるのか、
ということはやはりなにかの節目節目に考えていることで。
2020年を終えるころにわたしがこれだと思ったのは、「ものがたりをしたい。」という気持ちが、
わたしの「つくる」ことの根っこにあるのだなということ。
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去年から自分の身の回りをよく観察できる機会が出来たことで思うのは、
意味のないものを人間はつくりはしない、ということで。
少なくともその本人にとって、その瞬間を生きるために必要なことをしている。
生きるためというと、生命活動に必要な、衣食住の最低限がイメージされがちかもしれないけれど。
それだけではない。生きることを続ける意思、そのモチベーションを維持するという、精神面にとって栄養になることもまた、人間には大切なことなのだとわたしは思っていて。
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この地球に住んでいれば、当たり前のように人間が作った規則や、秩序の上に生活する。
例えば時間がそう。
自然の法則をベースにしているとはいえ、「1日が24時間」で区切られているのは、人間の尺度。別に、「1日48時間」にしてもよかったかもしれない。もっと”区切り悪く”、「1日36時間」でもよかったかも。わたしが今使っているこの言葉ですら、そう。わたしは、わたしより前に生きた人たちが考えだした道具を使い続けている。
それは便利で有り難いことである一方、「自分ではない他の人が作ったものに人生の大半占められている」という感覚も持つ。
それに、
この世界で、日常わたしの視界に見え、触れることができるものは、人間が作り出した人工物がほとんどだという事実に時々はっと気づいて打ちのめされる。
人間社会が平和であるために人間の秩序に則ることは大切だし、自分だけでは作り出せない便利で都合よくできた世界に安穏のうちに生きていられることは有り難い、と頭ではわかるけれど、時々そんな「人間」であることに、息苦しさを覚える。
というのも、この世界にかたちとして残されているものの大半には何かしら確固たる筋の通った理由があるものがほとんどで、その理由が定かでないもの、明確でないものというのは殆どないから。
現代社会の中での権威に認められず、評価を受けないものは、影に身を潜めたまま、誰に知られることもなくひっそりと無くなっていく。
それは、必要のないものだったから、ということではなくて。今人間の手の中にある原理法則で説明がつかないから、記号化できないから、価値が定かでないから、などとにかく「曖昧」な存在であるからという場合が多いのかもしれないなあと、わたしは想像している。
そういうものが、世界には見えているもの以上に沢山あるのだと思う。認知することができること以外の部分が、埋もれている。
話を戻すと、そういう「曖昧」な、理由がはっきりしないものでも、人間は何かしら作り出してしまう。脈絡もわからないし、筋も通らない、必要かどうかと聴かれたら、必要じゃないかもしれないと声が小さくなるような、今の世界では無意味かもしれないことをしてしまう。そんな意味不明さのほうに、わたしは興味を引かれる。
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そもそも私自身が「意味不明」だと思うことをしでかしたり口に出したりすることが多い人間で、
どうも「まわりと違う眼で世界を観ているらしい」ことは小さいころから感じていた。
「変わってる」といわれたり、「ユニーク」「独特」という言葉で形容されることも多かった。
それは褒められているというよりは、幼いわたしには「疎外」それているような気分になる言葉で、
(今は褒め言葉だと思える。)なんとなく寂しく、孤独な気持ちにもなった。ちいさいときだから、「ひとりぼっち」というほうがしっくりくるかもしれない。
そんなわたしが大好きだったのが、ファンタジー小説の世界だった。よく、母と父が寝る前に物語を読んで聴かせてくれた。彼らの声と、言葉・文章からどこまでも自由にその世界を想像できることがわたしは嬉しかったし、その世界の中に自分を入り込ませ「物語の住人」のような気持ちになることが、最高の贅沢だった。
読み聞かせというのは、文字を自分の眼で追うのとは違って、音楽を聴いているのに近い。声色や、声音の抑揚も世界を描く大切な要素で、それによって気持ちも一緒に波打つのは本当にエキサイティングだった。
もちろん、自分で本を読むことも好きだったけれど、わたしの「ファンタジー好き」はどちらかというと「読み聞かせ」の影響が大きい。
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わたしは自分でファンタジーを作ることもすきだった。
幼稚園のころよくしていたのは、庭にある大きな岩を異世界への入り口に見立てて、岩の向こうに空想の世界をつくりだすこと。
岩は―当たり前だけど動くことはできないから―同じ場所に鎮座していたけれど、わたしは日々、違う時と場を過ごしているから、岩に映しだされることは自ずと変化した。映し出されるのは、わたしがその日に感じてきたことを通して想像できる世界。現実と呼応している日もあれば、全く空想の国をつくり出したりもした。
大抵私一人でお話をつくっていたけれど、時々弟が隣に来て、そんな時は弟のために弟が好きそうな世界を作って話した。竜とか、騎士とか、魔法とか。ときどきロボットもでてきた。とにかく空想の世界ではなんでもありで、筋が通らないことだらけでも、それは「ファンタジーだから」ということで納得がいってしまう。「魔法」はそういう「筋の通らない」ことを軽々やってのけてくれた。
少し大きくなったころには、公園のなかを歩きながらその地形を活かして、自分を妖精や魔法使い、王女様や、侍女、女騎士などに見立てて物語を作った。周りに誰がいてもお構いなしで、普通の声か若しくは大きな声で物語をしていた。それはきっと、公園が「遊ぶ場所」だったからで、遊ぶ場所では―何か友達とルール付きの遊びをするのでない限りは―ルールらしいものも常識も存在せず、大きな声ではしゃいでも叱られず、走り回ることができる空間だったから。
だから、公園にたむろしているおじさんたちも、「またやってるね」くらいの生ぬるい眼で見てくれていた。時々、「今日はどこまで行ってるの?」と茶々をいれるお調子者のおじさんもいたけれど、大抵はそっとしておいてくれた。
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それだけファンタジーが好きだったけれど、それを家族以外の人に敢えて聴いてもらおうとはしなかったし、物語をしている場に誰かを積極的に招き入れるということはなかなかできなかった。もしかしたら意図的にしなかったのかもしれない。物語をしているときに、「きまりごと」が外側から作られるのが嫌いだったから、一人で物語することが多かった気もする。
ただ、その代わりによく絵を描いて友達と見せあっこしていた。描くことも自分の世界を表す方法の一つだったから。粘土で何かをつくったりもしたし、植物や木や石、砂で何かをつくることもあったけれど、わたしが感じていることを上手く表現できる方法は、小さい時には「絵」で。絵を観ながら友達と話をしたり、お話をつくりながら絵を描いたことも覚えている。
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先に、ものがたりをするときは大抵一人だった、と書いたけれど、一人ではなく誰かに伝えたい、誰かと話したいと思う気持ちもあった。ただ、わたしにはそれを声で伝えるとか、文字で伝えるというのが向かなくて、結果的に「描く」とか、つくるというかたちになっていった。そのほうが、対「人」となったときにはものがたりしやすくなっていた。
小学生以降のころのわたしは、絵を中心に自分の外の世界と交信していた。絵があれば、誰かが来てくれて、興味をもってくれて、わたしはわたしの感じている物語を自然と話すことが出来た。わたしにとって、「これがわたしにとって《本物》って実感できること」というのを、絵があれば自信を持って伝えることが出来た。目の前にたとえ存在していないことでも、わたしの絵の中が其処へみんなを案内してくれた。
そうして自分ーが見ている世界ーを知ってもらう事で、わたしは逆に、世界に自分がいることを実感することができた。私以外の人の眼には映っていない美しさや、見えている世界の向こうを想像してみる面白さを自分以外の誰かに伝えることが出来た時、わたしはこころが幸せで満たされた。そういうとき、大抵目の前に居る友達もまた、楽しそうで、眼が輝いていた。全く同じことを感じられているかどうかはわからなくても、その眼をみれば、「彼/彼女のなかにこれまでにない何かがスパークしている」ことはわかった。
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ものがたりは、わたしにとって必要なもの。
必要なだけで生きていく、という言葉の「必要なだけ」というのは、個々人によって差異があっていいもので、わたしにとってそこには、「ものがたりすること」が含まれる。
目に見えていることも目に見えていないことも織り交ぜ、紡いで、わたしが「これが本物」と実感していることを眼にみえるかたちでこの世界に存在させてみたいという好奇心、
その好奇心自体がわたしをこの世界に留めてくれている。
そして、つくること~作品を展示すること、そのプロセス全体が、わたしにとっての「ものがたり」、なのだ。
…、と、現時点では思っている。