いろんな王国がある。
こども してん 境目
世の中、ひとそれぞれに大切にしていること、価値をおいていることってあって、
その全てに共感しあえたり理解しあえたりなんていうことは、おそらく不可能。
先日みた海外ドラマで、人間のニューロンの仕組みを活かして共感をひろげれば地球は平和になる、
なんていう話が(もちろんファンタジー)出ていたけれど、それは逆に恐ろしい結果を招くのではと、
わたしはぞっとした。
世の中、ひとそれぞれに大切にしていること、価値をおいていることってあって、
その全てに共感しあえたり理解しあえたりなんていうことは、おそらく不可能。
先日みた海外ドラマで、人間のニューロンの仕組みを活かして共感をひろげれば地球は平和になる、
なんていう話が(もちろんファンタジー)出ていたけれど、それは逆に恐ろしい結果を招くのではと、
わたしはぞっとした。
2017年制作の「Port」。
ここからどこかへ行くし、
どこかからここへ戻ってくる。
作品が港みたいな場所になれたらいい。
そんなこと思いながら名前をつけた記憶があります。
最初のタイトルは、「ただいま、おかえり。」
だった気がする。
安井ちさとの作品のなかでも、「Stream」シリーズはとくに、感情の「はだざわり」を大切している作品。身体の内側で波打つ様々な感情の波形が、指や指の腹、掌によって形状記憶力の高い磁土に記憶されている。
普段はわたしは作品に「触れて」鑑賞してもらっている。なぜかというと、肌に触れることは、視覚よりも、単純且つ直に身体に情報を伝えてくれるとわたしは思って居るから。身体でわかるということは、そのひとにしか受け取りようのないもの。例えば、眼で見て「これは〇〇のようだ」と認識するのは、既知の情報が感覚していることを遮っている可能性も高いような気がしている。あくまでわたしは、そう感じているというだけで、「そうだ」とは言えない。でもそう感じていることは確か。
いま、ちょっとワケあっていろいろと動画をとって集めてみています。
子供が道端の草とか、石ころ集めるのに近い感覚。
これは、むすこがはじめて意識的にこすり絵をしている様子。
わたしは「手触り」を普段の制作のなかで大切にしているのだけれど、フロッタージュ(こすり絵)を通して、なにか内面の手触りに通じるもの見つけられたりするかなと思って。
動画は敢えて音声を消しました。むすこはなにかをしゃべっているし、フロッタージュ(こすり絵)が出来上がったをのみて、「〇〇みたいだ!」て叫んでます。うれしそうに。
どんなこと話しているでしょう?
こする音ってどんなでしょう?
彼は何に見えたのでしょう?
あなたには何に見えますか?
想像してみてください。
写真家:中村温子さん撮影してくれた、安井ちさと個展「わたしの在り処」夜の風景。