いろんな王国がある。
こども してん 境目
世の中、ひとそれぞれに大切にしていること、価値をおいていることってあって、
その全てに共感しあえたり理解しあえたりなんていうことは、おそらく不可能。
先日みた海外ドラマで、人間のニューロンの仕組みを活かして共感をひろげれば地球は平和になる、
なんていう話が(もちろんファンタジー)出ていたけれど、それは逆に恐ろしい結果を招くのではと、
わたしはぞっとした。
世の中、ひとそれぞれに大切にしていること、価値をおいていることってあって、
その全てに共感しあえたり理解しあえたりなんていうことは、おそらく不可能。
先日みた海外ドラマで、人間のニューロンの仕組みを活かして共感をひろげれば地球は平和になる、
なんていう話が(もちろんファンタジー)出ていたけれど、それは逆に恐ろしい結果を招くのではと、
わたしはぞっとした。
いま、ちょっとワケあっていろいろと動画をとって集めてみています。
子供が道端の草とか、石ころ集めるのに近い感覚。
これは、むすこがはじめて意識的にこすり絵をしている様子。
わたしは「手触り」を普段の制作のなかで大切にしているのだけれど、フロッタージュ(こすり絵)を通して、なにか内面の手触りに通じるもの見つけられたりするかなと思って。
動画は敢えて音声を消しました。むすこはなにかをしゃべっているし、フロッタージュ(こすり絵)が出来上がったをのみて、「〇〇みたいだ!」て叫んでます。うれしそうに。
どんなこと話しているでしょう?
こする音ってどんなでしょう?
彼は何に見えたのでしょう?
あなたには何に見えますか?
想像してみてください。
4月27日。これは、はんなが集めた桜の花。樹からぽろぽろ零れ落ちた子たち。
わたしたちの住む近くにある神社の境内に在る桜は、3月末から5月まで、種々様々な桜を咲かせる。
4月も終わりとなると新緑が目立っては来るものの、その隙間を縫うように八重の可憐な桜はぽつりぽつり顔をのぞかせている。
我が家の末っ子は桜の花が大好きで、今年からなぜか桜のことを「はる」と呼ぶようになった。
だから、桜の花が樹から落ちている様をみて、「春がいっぱい零れてる!」と言う。
今日は何を思ったのか、桜を苔の上にいくつも集め始めて、「まだきれいだねえ」「落ちても可愛いよねえ」と誰に話しているのか曖昧な声かけを繰り返していた。
桜の額が星のかたちをしているのをみつけて、
「わあ!春は星がたくさん!お星さまたくさん集めちゃおう!」と無邪気に喜んでいた。
(お花も星も、小さな女の子には共通して心惹かれるかたちなのだろうか。ふと、気になる。)