Chisato Yasui Movie Project – 〇°
「よまない」_山田洋一
安井ちさとさんのあたらしいHPのために制作された映像作品は、「 ◯°」というのだそうです。・・・・読めない。けれど、すっと腑に落ちる良いタイトルです。
ちさとさんの作品群には、
ひとつも説明的なものはない。 何かを意味している、みたいなところから、
さっさとうまくはなれている。
それを言葉でなぞらえる意味はそもそもないわけですが、
人間の内面なんて、もちろん言葉で説明できる性質のものではないわけで。
そこから掘り出してくるかたちなんてなおさら、よめるわけがない。なら、よまない、のが正しい。
作品はそれ自体が言葉なので、
触る、集める、眺める、ことでよみだす、言葉によらないコミュニケーションのかたち。
踊り出しても良いですね。
ちさとさんの膨大な作品群のよみ方の、素敵なイントロダクションです。
建築家・遠藤優斗
日常とは普段の生活であり、繰り返される出来事や習慣、 そしてそこで接する物から構成される。
安井ちさと作品は、はるか昔から既に存在していたかのように持ち主の日常に根付いているようだ。
祀られているのとも少し違う、ただそこに当たり前に存在し、その存在によって構成される持ち主の日常は、実は気付かぬうちに新たな日常に変わっているのではないか。
この映像では意識的に日常が差し込まれおり、日常というのが安井ちさと作品の1つのキーワードになっていることが浮き彫りになっている。
安井ちさと作品が、自分の家族の日常に与える影響について、或いはどこかの名前も知らない所有者の日常に与える影響について、どのような考えを持たれてれいるのか、ご本人に色々と尋ねてみたい。
日常と、その先にあるタイムレスで壮大な世界観を感じられる映像作品になっていて、いろんなことに考えを巡らせながら、飽きずに何度も見てしまった。
映像作家・重松善樹
制作に於いての、留意点というか所感みたいなもの。
その瞬間に信じ合えることは、奇跡で、喜びで、楽しく、自由だ。
ただ無邪気に無軌道になるにはリスクは高いが、そうであっても、思い切って差し出された腕に自分を投げ出すこと、その瞬間において成立するもの、既にそれが未だに到達すべき場所。
未来から過去へ可逆的に開かれるイメージは行為と物質の中に内包されている。
だから、ただシンプルな行いに重きを置いて、そこから作品と音と投下直線運動になるまで慎重に加速した。
タイトル聞かれた時につけたO°
っていうのは、out-of-place artifactsの最初の頭文字2つからも拝借してつけてますが、場違いでは無く、Optimal objectでもある、大きな縁から溢れる気泡のような複数のレイヤーイメージがあります。
音楽家・若狭真司
senza forma
音楽用語でsenzaとは「〜でなく、〜なしに」と言った様な意味になりますが、ようは決まった形なしに、とかいう様な意味です。ちさとさんの作品は決まった形状を目指すというよりも、手が作り上げていく流れに従って生みだされていく様に感じていて、僕もあまり構築的に作らぬ様気をつけました。
そしてあの作品たちと一泊過ごした夜、薄暗い空間に浮かび上がる様々な形状、その作品と作品の合間の空間を感じられる様な音にしたいと考え、また鑑賞者が視点を変えたり動くことで全体像が定まっていく様を、テクスチャ、リズムの異なる楽器が変型しながら徐々に埋まっていく表現で仕上げました。コツコツコツと持続的に鳴り続けるマレットの印象的な音は、手で作品表面を撫でた時に感じた、滑らかなザラつきを主観的に音でトレースしたものです。