Chisato Yasui
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Streamのてざわり。

2020-04-30 してん てざわり 眼

安井ちさとの作品のなかでも、「Stream」シリーズはとくに、感情の「はだざわり」を大切している作品。身体の内側で波打つ様々な感情の波形が、指や指の腹、掌によって形状記憶力の高い磁土に記憶されている。

普段はわたしは作品に「触れて」鑑賞してもらっている。なぜかというと、肌に触れることは、視覚よりも、単純且つ直に身体に情報を伝えてくれるとわたしは思って居るから。身体でわかるということは、そのひとにしか受け取りようのないもの。例えば、眼で見て「これは〇〇のようだ」と認識するのは、既知の情報が感覚していることを遮っている可能性も高いような気がしている。あくまでわたしは、そう感じているというだけで、「そうだ」とは言えない。でもそう感じていることは確か。

それと、言葉であれこれと作品について話すよりも、そのほうが他者(作品をつくった私以外のひとびと)と作品の関係がはっきりと際立ってくる気がしているから。わたしが言葉で説明をしだすと、その声に他者は耳を傾ける。当たり前といえば当たり前だけれど、そうなるとまるでわたしから出てくることが正解のようになってしまって、やっぱり他者の感覚が優先されづらい状況にもなりやすい。…という傾向にある、といっておきましょうか。わたしの小さな経験による、わたしが感じているところの話です。

でも今は、それが叶いません。ただいまコロナウイルスにつき絶賛自粛中です。

そもそも、なぜわたしが「てざわり」を大切にしているのかというと。それが言葉にならない感情と密接につながっていると思うからで。言葉にできないから、自分の意識に入りづらいことって実は無限大にちかいほどたくさんあると思うのですが、それが「てざわり」ー「触れる」ことで簡単に意識できるものにスイッチすることができる。と私は思っていて。
其処に「触れられる」のであれば、陶磁にこだわらなくても、素材をデジタルに置き換えてできるのだろうかと。今はその試行錯誤をしています。つまり、土のかわりに、映像。

結構面白いのです。意識してカメラの眼で身の回りをみてみると、「ああこれ私の中にもある」と呼応するものを見つけることができて。それを今は収集しています。いろんな「てざわり」を。なんとなくではなくて、「わたしのからだが感応するてざわり」。

映像、デジタルーインターネットーオンライン上を伝わって、他者の眼から、皮膚の下へ。
はたして伝わるものでしょうか。
続けてみたいと思います。

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